Monday, August 19, 2019

最近有朋友問我這篇報導有沒有誇張失實...

最近有朋友問我這篇中國網站的報導有沒有誇張失實。他知道我懂日文,叫我讀一讀原文。

我決定把原文翻譯成中文,由你們自己決定。日文原文在這裡:香港デモで「正義の香港市民」に暴行されかけて抱いた悲しみと違和感。我亦把原文放在譯文後面。

以下是譯文。

示威中遭「正義香港市民」暴行後所抱的悲傷與違和感

正義到底是什麼?

筆者:青山潤三

曾愛過的香港...


筆者在6月9日,為紀念天安門30週年,向「現代business」投了一篇文章叫「我目擊天安門事件當日一個年輕中國人的提問」。

揭載3日後6月12日,反逃犯引渡條例抗議示威於香港立法會附近舉行。筆者目的地原本是中國大陸(我的工作是觀察野生生物),香港是個中途站。當日我知道了示威者和警察間有衝突。

據報導,6月16日將有大規模示威。我把中國內陸野生生物硏究推遲數天,打算留港幾日,慢慢取材。

對於香港會不會變成第二個天安門,對筆者來說,有著不安和恐懼。不過我恐怕大半人都跟我有著完全相反的想法......

筆者自1988年於重慶大學留學以來30年,以香港作為中途站往返中日兩地。1989天安門事件後,暫時回國,同年秋再到中國。一直以來作為中途站的上海,移到了香港。因為到四川雲南等內陸地區,從香港出發會比較方便。

屈指一算,已有560次重覆經由深圳羅湖出入香港及中國大陸的紀錄。就筆者原本目的而言(中國內陸生物研究),它不過是例行公事,在香港的時間沒多大意義。雖然筆者不太懂人類社會,亦對它從不感興趣,但我不能否定,長年累月的往來,也多少感到香港和大陸的差別。

筆者曾是個喜歡香港的人(用過去式好嗎?還是應該用現在式?我感到迷惑。)。在四川雲南等嚴酷山區完成研究,從廣州火車站辦理過出入境手續,座上往香港直通車之際,我每次都覺得自己是個「倖存者」。

講起直通車,從去年起,「因為直通車往香港市中心(九龍)伸延,影響香港主權......」等標題報導,引起外國傳媒對反對運動關注(去年7月也有示威)。(注1)

但港滬直通車其實已有30多年歷史。事實上只不過是售票口,月台位置,路軌,車廂等改變而已。

筆者經由香港往返中日兩地數百次,從一個基本上「愛港人士」,不知不覺間產生了變化。最近,在香港時覺得厭膩,反而到深圳鬆了口氣。究竟是什麼原因,我自己也覺得不可思議。

當然,97回歸毫無疑問是一大原因。香港文化不斷受中國侵蝕。

以面積而言,雖然香港只有中國全國萬分之一左右,但不得不說,所謂「人民質素」差天共地。就舉地下鐵上落車為例,香港人守規矩,整齊排隊上落。深圳和廣州根本不能相比。在深圳和廣州,人人爭先擁後,車廂裡的狀況跟一個日本團子沒有兩樣(中國人很有趣,當看到有老人家,便會毫不躊躇把辛辛苦苦爭來的座位讓出來。香港反而少見。)。

香港人恐被「中國化」,恐「自由」和「人權」遭侵害,也許是理所當然的事。

不過,最近到訪香港時更纏繞著我心者,是一種更不同的「說不出的厭惡感」。在今次取材中,我覺得我已續漸看出這「厭惡感」的本來面目。

「口罩」意義的變化


筆者從6月12日到7月2日在香港停留,追蹤人們的行動和想法。這不僅是示威學生,以及支持他們的市民,還有警察,回教徒,以至大陸人。

首先感到的,是包含著大部分香港市民的遊行隊伍極其團結一致的行動。他們統一的組織和一致的步調讓人吃驚。起碼跟日本散渙的示威,性質上完全不同。

「維護香港自由」,「不要讓中國侵害香港主權」......香港市民大致上團結一致,有著一種異己不容,滴水不漏的氣氛。

其中一個有代表性的,是潮水式重覆又重覆的抗議行動。示威所產生的「浪」已於日常生活植根。差不多所有市民(因工作無論如何都不能參加的人除外)都抱有「維護香港核心價值與自由」的想法,一次又一次去參加遊行。

我感到一種令人害怕的「群眾壓力」。例如成了話題的群眾「口罩」。在抗議活動現場,多次有年輕人把口罩递給我。最初,我問「為什麼要口罩?」,他們便向我解釋「假如不幸沐浴於催淚彈中,最少可以減輕損傷。」事實上,遊行開始時,只有少部分人(跟警察有衝突危險的先頭部隊)戴上口罩。

可是,一段時間後,外國傳媒或SNS等便開始流出訊息「所有參加者戴上口罩。如果警察或共產黨看到你的臉,會秋後算賬。」因應這些訊息,隨著時間「口罩人」愈來愈多。以「被強權打壓無力反抗的市民」為象徵,續漸流傳於世界各地傳媒之中。

「香港正義」外的人


遊行隊伍據點,在立法會大樓以至行人天橋周邊,以及立法會西側廣場附近。嘉年華會(我膽敢用這個來形容)過後,大多數人便回到日常生活,遊行的姿態似幻象般消失。

這真的是香港嗎?我懷疑我的眼睛。接下來,是另一種「日常」的出現。菲傭印傭滿街。

菲律賓人和印尼人,總共佔香港人口約4%(各2%),比舊宗主國英國,以及日本等所有外國人人口(約2%)還要多。印尼人以回教徒居多。她們(主要是當香港家庭女傭,又例如幫筆者打掃酒店房間的人,出身於菲律賓棉蘭老島Mindanao)是「香港正義」外生活的人。

把這些「正義外側」的人除去,剩下來的相信是大陸移民吧。據說,97回歸以來22年間,中國大陸移民佔香港總人口10%再多一點。他們是富裕階層,還是像菲傭印傭一樣是低下勞動階層,筆者不得而知。感覺上大陸移民意外地少。

遊行人士喊的「中國邪悪」「香港人不是中國人」「中國人滾出香港」,如果他們聽到的話會怎麼想呢?

在香港要把他們找出來,意外地困難。就算給我碰到,更何況我是個日本人,他們也不會向我說出真心話。

比較簡單的話,要去找鄰接香港,在深圳等地住的人,問問他們對香港有何想法。

筆者原本的未婚妻S小姐(她說「日軍殺了爺爺」所以不能跟我結婚,不過一直跟我保持良好關係),中學畢業後隨企業大量招聘由廣西壯族自治區一個農村搬到深圳,在運輸帶前做電器組件工作,先後在2家日本公司和1家香港公司上班。她住宅前面跟香港一河之隔。雖然已住了10年多,但去香港的心願從未實現。

還有,筆者的助理M,她出身於香港接鄰的廣東省農村。數年前新婚渡蜜月第一次到香港云云。

她們都異口同聲說「討厭香港」。因為香港人明顯地看不起大陸人,更看不起農村的大陸人。

筆者自己以前也有同樣經驗。

在香港一高級住宅區內的cafe,我向拿水來的服務員用中文說了句「謝謝」。偶然身邊有一個居港日本婦人突然提醒我,「我看你是日本人吧。還是不要說『xie xie』比較好。要是被誤會為中國人他們會覺得你很糟糕。」

中國與香港之不對稱


我嘗試問M和S她們對今次香港示威的感想。話說開去,街頭巷尾的人都說「天安門事件跟香港示威等消息,內地網上有限制,看不到」。不過,筆者跟M和S(透過中國百度)都能輕易検索出有關消息。

她們的反應都是「香港是中國一部分,遵守中國法律不是理所當然嗎?」除此之外,便沒有更多補充。

如果有人膽敢以負面的口吻去說,對於香港人,維護中國內地沒有的「自由」,不過是維護舊殖民地得來的「既得權益」。也可以說,香港人去維護這些一直以來所享受的權益,亦理所當然。

香港人,在97回歸前,被視為英國的「僕人」(譯者:我應不應把它譯作「走狗」?),亦為歐美看不起之弱者。

不過,回歸後,成為了跟歐美有同樣地位的所謂「主人」,便開始看不起中國大陸和亞洲諸國嗎?......筆者覺得,這跟我在當地感到那種「說不出的厭惡氣氛」背後的真面目,相去不遠。

回歸後,大陸人往來香港,比起以前應該容易得多吧?(注2)

話雖這麼說,從筆者數百次中港過境經驗來看,事實上出入的大半是香港人。

7月1日下午(學生衝擊議會當日),相信是連續2日假期的關係吧,在深圳香港邊境,溢滿了數量膨拜的回港旅客。

「回歸後,共產黨政策侵入香港」是一般人的理解。事實上卻是香港資本主義社會向大陸入侵。(你只要到邊境看看出入的人流便很容易了解。)

圍繞正義之「扭曲現象」


我斗膽說,從大陸人角度來看(再者,從全世界的角度來看),香港人都屬於「精英」和「富裕階層」。

除去了紐約,香港是世界上擁有最多大富豪的地方。最富有的10%左右擁有資產一億日圓以上。

以筆者來看,籍香港回歸中國,具所謂富裕這個「力量」的香港,比中國更受惠。

「警察不要殺學生!」......在今次的示威當中洋溢著這樣的言論。但是,警察究竟做了什麼?

縱以「力量」一詞言之,實際上社會存在著不同程度,不同種類的「力量」。

政治權力,例如憑中國共產黨而來的統治,當然是一種「力量」。市民為抵抗共產黨從「正義」出發的抗爭,亦可以說是另一類的「力量」。

我認為,趁著香港這次示威,圍繞「力量」的一些奇怪扭曲現象,就好像日本網上所見的一樣,陸續呈現。

普遍來說,日本人相信日本政府,警察,法律等代表絕對正義。對人權運動等示威遊行十分討厭。如果有意外發生,日本人會說「你們參加示威這班人,因為是叛亂,警察應毫不手軟去鎮壓」「日本的司法太寛容,應予犯罪者嚴重懲罰」。可是,對香港的示威卻是「警察不能原諒」「一定要保衛人權」「引渡法是惡法」,左一句右一句的唱和。就連日本傳媒對今次事件的處理手法,也見得模稜兩可。

從香港市民的角度看,奪走他們「自由」的是中國共產黨這一隻「大怪獸」,香港警察是這「大怪獸」的爪牙。

不過以筆者微見,警察有明確行動,只限於6月12日夜的暴動,和7月1日衝擊立法會兩日。我雖不在現場,但看過影片後,警察確實有對示威隊伍放催淚彈迎戰,也好像有好幾人受傷。

警察第一任務,是確保市民安全。12日午後衝突時,各交通機關還在運行,而學生則橫沖直撞煽動示威。在這情況下,不論香港,不論中國或日本,警察採取行動是理所當然的事。而我甚至認為,用催淚彈是一個可以把對手損傷減至最低的方法。再者,7月1日衝擊立法會,說它是一種恐怖主義行為也言不為過。

抗議的主腦,由最初開始並沒有打算對話,只是不斷強調要以「正義」壓過「邪悪」(這個在15日舉行的記者會有明言)。然後,輿論站在他們一方。

在現場,他們認為日本人會無條件站在他們那邊,任何人都很樂意說話。「感謝你的訪問,我希望你會把我們的訊息向日本傳遞。昨日,我朋友在這裡給警察殺了。」口徑一致地連珠爆發。可是,今次被警察殺的示威者根本不存在。究竟,你有多少朋友遭殺害......

相機鏡頭受破壞


7月1日夜,立法會大樓再有示威者衝擊。筆者有拍攝到當晚的群眾。不過我親身體驗到,人群的態度起了變化。

當日,有報導說本應是「不挑起任何騷亂不抵抗,繼續和平抗議」的學生,強行衝入議會破壞。相反,警察的「繼續大屠殺」行動(這個不是事實)卻完全沒有報導。

不知是否害怕對這狀況抱有違和感的海外傳媒會出來報導,他們開始實行「採訪規限」。「他們」不是政府,而是學生和市民。

到現時為止可以自由攝影已再沒關係,從今以後「我們雖然行動穏健,但如果讓外國傳媒誤解為暴動的話便會很麻煩」「對學生不利的照片不可以拍攝」「只有我批準的傳媒才可以拍攝」等等理由,拒絕了我。

雖然這樣,我還是嘗試繼續拍攝。周圍的群眾(一般香港市民)多次要求我把照片刪去。他們不僅圍住我催迫我,還奪走我相機繼而破壞鏡頭。你們不是以「受害者」自居,向全世界這樣宣傳的嗎? 說實話,我感到有生命危險。

把我救出的,是一個美國自由記者。因為自由取材(沒有沿香港市民意向去取材)同樣被對方要求終止採訪。不過,市民好像不能對歐美人做得太過分。他說「自由記者無論如何都要中立報導」。我對他心存感激。筆者亦決定離開現場。

由於筆者在日本基本上已沒有親人,假如發生什麼事,相信沒有大問題吧。不過,這真的好嗎?

7月下旬以來,謎一樣的「白衣人」和示威隊伍發生衝突。香港陷入更深的迷惘。香港市民所高舉的「正義」背後,現在究竟發生了什麼?筆者覺得有必要去慎重地把事物看透。

筆者簡介
青山潤三(あおやま・じゅんぞう)
1948年生。攝影家,生物研究家。長期於中國四川雲南等內陸地區,以及琉球群島,從事植物與昆蟲攝影及對其研究。著作有「世界遺產森林 屋久島」(平凡社新書),「彩色版屋久島 步於島上樹水岩間」(岩波Junior新書),「小笠原 綠島進化論」(白水社)等。

譯者注:
(注1)他說的應該是「一地兩檢」事件。我對這個不詳,所以不知道他說的是不是事實。

(注2)他不知道97回歸後,大陸人也不可以自由來港。「自由行」也是2003年,97回歸6年後的事。據我了解,所謂自由行,也不代表所有大陸人可以來港。

以下是日文原文。

香港デモで「正義の香港市民」に暴行されかけて抱いた悲しみと違和感

「正義」とは何なのか?

青山 潤三

大好きだった香港が…

筆者は6月9日付で「現代ビジネス」に、天安門事件30周年に際して「私が目撃した『天安門事件』あの日、中国の若者に訊ねられたこと」という記事を寄稿しました。

掲載から3日後の6月12日、香港の立法府周辺で「逃亡犯条例」改正に抗議するデモが発生しました。このとき筆者は全く別の目的(本来の自分の仕事である野生生物の観察)で、香港を経由して中国本土を訪ねる予定でいたのですが、ちょうどその日、香港でデモ隊と警察の衝突があったことを知ったのです。

情報によれば、6月16日に本番の大規模デモがあるらしいーーそこで、中国奥地での野生生物の調査は数日ずらし、香港に数日滞在して、ゆっくりと取材してみようと考えました。

筆者には、今回の香港でのデモが「第二の天安門事件」になってしまうのではないか、という一抹の危惧がありました。といってもおそらく、大半の人が考えるのとは正反対の意味で……です。

筆者は1988年に中国・重慶の大学に留学して以来、およそ30年間にわたり、香港を中継点として日本と中国を行き来してきました。1989年の天安門事件の後に一時帰国し、その秋口から中国行きを再開したのですが、以降今に至るまで、それまで上海イン・アウトだった中継地点を香港イン・アウトに変更しました。四川省や雲南省の奥地に向かうためには、香港起点のほうが何かと便利だったからです。

ざっと数えてみると、560回ほど繰り返してきた香港/中国(深圳羅湖)の国境通過は、筆者にとっては本来の目的(中国奥地での調査活動)遂行のための手続きの一つにすぎず、ほとんど意味を持たない時間です。でも、これだけ永い年月往来を繰り返していると、人間社会に対する興味も知識もない筆者といえども、香港と中国の様々な意味での「違い」を、否応なしに感じてきたのも確かです。

筆者は、香港大好き人間でした(過去形にしていいのか、現在形に留めておくべきか、迷うところなのですが)。四川や雲南の山中での過酷な調査を終え、広州駅で出入国手続きをし、香港行き直通列車に乗った瞬間、「生きて帰ってきた」という想いに、いつもなったものです。

ちなみに広州から香港への直通列車については、昨年以来、「直通列車が香港中心部(九龍)まで延びたことから、香港の主権に悪影響が……」といった報道が見受けられ、国外のメディアでも反対運動などが紹介されたりしています(この7月にも反対デモが行われました)。

しかし広州-香港の直通列車は、30年前から存在していました。現実的には、切符売り場やプラットホームの場所、レールや使用車両などが変更されただけです。

ともかく筆者は香港経由で何百回と日中を往復している、基本「香港大好き人間」なのですが、いつの頃からか、その想いが変わり始めました。最近、むしろ香港にいる間はうんざり、深圳に出るとホッとするのです。いったい何故なのか、自分でも不思議です。

筆者は6月9日付で「現代ビジネス」に、天安門事件30周年に際して「私が目撃した『天安門事件』あの日、中国の若者に訊ねられたこと」という記事を寄稿しました。

掲載から3日後の6月12日、香港の立法府周辺で「逃亡犯条例」改正に抗議するデモが発生しました。このとき筆者は全く別の目的(本来の自分の仕事である野生生物の観察)で、香港を経由して中国本土を訪ねる予定でいたのですが、ちょうどその日、香港でデモ隊と警察の衝突があったことを知ったのです。

情報によれば、6月16日に本番の大規模デモがあるらしいーーそこで、中国奥地での野生生物の調査は数日ずらし、香港に数日滞在して、ゆっくりと取材してみようと考えました。

筆者には、今回の香港でのデモが「第二の天安門事件」になってしまうのではないか、という一抹の危惧がありました。といってもおそらく、大半の人が考えるのとは正反対の意味で……です。

筆者は1988年に中国・重慶の大学に留学して以来、およそ30年間にわたり、香港を中継点として日本と中国を行き来してきました。1989年の天安門事件の後に一時帰国し、その秋口から中国行きを再開したのですが、以降今に至るまで、それまで上海イン・アウトだった中継地点を香港イン・アウトに変更しました。四川省や雲南省の奥地に向かうためには、香港起点のほうが何かと便利だったからです。

ざっと数えてみると、560回ほど繰り返してきた香港/中国(深圳羅湖)の国境通過は、筆者にとっては本来の目的(中国奥地での調査活動)遂行のための手続きの一つにすぎず、ほとんど意味を持たない時間です。でも、これだけ永い年月往来を繰り返していると、人間社会に対する興味も知識もない筆者といえども、香港と中国の様々な意味での「違い」を、否応なしに感じてきたのも確かです。

筆者は、香港大好き人間でした(過去形にしていいのか、現在形に留めておくべきか、迷うところなのですが)。四川や雲南の山中での過酷な調査を終え、広州駅で出入国手続きをし、香港行き直通列車に乗った瞬間、「生きて帰ってきた」という想いに、いつもなったものです。

ちなみに広州から香港への直通列車については、昨年以来、「直通列車が香港中心部(九龍)まで延びたことから、香港の主権に悪影響が……」といった報道が見受けられ、国外のメディアでも反対運動などが紹介されたりしています(この7月にも反対デモが行われました)。

しかし広州-香港の直通列車は、30年前から存在していました。現実的には、切符売り場やプラットホームの場所、レールや使用車両などが変更されただけです。

ともかく筆者は香港経由で何百回と日中を往復している、基本「香港大好き人間」なのですが、いつの頃からか、その想いが変わり始めました。最近、むしろ香港にいる間はうんざり、深圳に出るとホッとするのです。いったい何故なのか、自分でも不思議です。

「マスク」が持つ意味の変化

筆者は6月12日から7月2日まで香港に滞在し、香港政府にプロテストを行う学生や、それを応援する市民たち、またそれだけでなく警察、イスラム系の住民、中国本土の人たちの動きや想いを追ってきました。

まず感じたのは、デモ隊を含む大多数の香港市民たちが、きわめて一致団結して行動していることです。デモ参加者は驚くほど統制がとれ、同調しています。少なくとも日本で見られるような緩やかなデモとは、完全に異質でした。

「香港の自由を守る」「中国に主権は譲り渡さない」……香港市民のほとんど全てが一致団結し、異見を差し挟むことは不可能な雰囲気でした。

その表れのひとつが、抗議行動が潮の満ち引きのごとく繰り返し行われることです。プロテストが生み出す「波」がそのまま日常の世界と接続し、(仕事などでどうしても参加できない人を除いては)市民のほとんど全員が「香港の正義・自由を守る」という同じ想いのもとで、繰り返し参加しているわけです。

凄まじいまでの「同調圧力」も感じました。例えば、話題になった群衆の「マスク」。筆者も抗議活動の現場にいた若者から、何度かマスクを渡されました。最初の頃は「何でマスクをするの?」と尋ねたら「もし催涙弾を浴びてしまっても、被害を最小限に抑えるため」と説明していました。実際、デモ開始直後は、マスクをしているのはごく一部の人々(警察との衝突の危険性がある前線の実働隊など)でした。

しかし、やがて海外メディアやSNSなどで「デモ参加者は皆マスクをしている、それは顔が見えると警察や中国共産党からの報復があるからだ」という情報が流れ始めました。その情報と呼応するように、日が経つにつれ「マスクマン」の数は増えていき、「権力に弾圧される無抵抗の市民」の象徴として、世界中のメディアに流布するようになりました。

「香港の正義」の外側にいる人々

抗議集団の拠点は、法議会ビルに至る陸橋周辺と、法議会西側の広場の周辺でした。祭り(あえてそう表現します)が終わると、大多数の参加者は日常に戻ってゆき、その姿は幻のごとく消え去ります。

そして、ここは本当に香港か?と目を疑うような、さらに別の「日常」が出現するのです。インドネシア人やフィリピン人の女性たちで街が埋め尽くされるのです。

フィリピン人とインドネシア人は、合わせて香港総人口の約4%(各2%)を占めており、旧宗主国である英国人をはじめ、日本人を含む全ての外国人を合わせた人口(約2%)を上回ります。インドネシア人の多くはムスリムです。彼女たち(主にメイドとして香港人に雇われており、筆者の宿泊したホテルのハウスキーパーもミンダナオ島出身でした)は、「香港の正義」の外側で暮らしているのです。

「正義の外側」に取り残された人々という点では、中国本土からの「移民」も当てはまるでしょう。1997年の返還以降の22年間、中国本土から香港へ移り住んだ漢民族は香港総人口の10%強を占めると言われています。その人たちが富裕層なのか、インドネシアやフィリピンの人々同様に下層の労働者なのか、筆者には把握しえていませんが、意外なほど少ないような気がします。

「中国は悪」「われわれ香港人は中国人ではない」「中国人は香港から出ていけ」といったデモ参加者たちの声を聞きながら、彼らは何を想ったのでしょうか?

香港で彼らの存在を見つけ出すことは、意外に困難です。たとえ邂逅することができても、まして日本人には、なかなか本心を話してはくれません。

手っ取り早いのは、隣接する深圳などの中国本土に住む人たちに、香港への想いを聞くことです。

筆者の元婚約者(「祖父が日本兵に殺された」という理由で結婚は許されなかったものの、今でも仲は良い)のSは、中学卒業後に集団就職で広西壮族自治区の田舎の村から深圳にやってきて、ベルトコンべアで流れてくる電気製品の部品を組み立てる作業員として、日本企業2社と香港企業1社で働いていました。彼女の住んでいたアパートの前の小さな川を超えれば、そこはもう香港だったのですが、そこに住んでいた10年余り、一度も香港に行くことは叶わなかったといいます。

また筆者のアシスタントのMも、香港に隣接した広東省の田舎の村出身です。数年前、新婚旅行で初めて香港へ行ったそうです。

彼女たちは、口を揃えて言います。「香港は嫌いだ」と。なぜなら香港人は、明らかに自分たちを、ことに田舎出身の中国人を見下しているからーー。

筆者自身も、以前こんな経験をしたことがあります。

香港の高級住宅街のあるカフェで、水を持ってきてくれたウェイターに「謝々」とお礼を言ったところ、たまたま隣のテーブルにいた現地在住の日本人のご婦人たちが注意してくれました。「あなた日本人でしょ?シェイシェイと言うのは止めたほうがいいですよ。中国人に間違われて惨めな思いをするから」

中国と香港の非対称性

MやSにも、今回の香港のデモの感想を聞いてみました。ちなみに、巷では「天安門事件や香港デモの情報は、中国国内ではネット規制で閲覧できない」と言われていますが、少なくとも筆者やMやSは(「百度」などの中国サイトを通じて)なぜか普通に検索できています。

彼女たちの反応は、「香港も中国なんだから中国の法に従うのが当たり前でしょう?」。それ以上の感想はないらしく、話の広げようがありませんでした。

あえてネガティブな言い方をすれば、香港の人々にとって、中国本土にはない「自由」を守ることは、旧植民地であることによる「既得権益」を守ることである、とも言えます。香港人が、これまで享受してきたそうした権益を守ろうとするのも、また当然のことと言えます。

香港の人々は、中国に返還される前は、いわばイギリスの「使用人」という位置づけにありました。彼らもまた、欧米から見下される弱者だったのです。

しかし、返還後はいわば欧米と同等の「主人」として、中国本土や他のアジア諸国を見下し始めたのではないか……筆者が現地で感じる「なんとなく嫌な雰囲気」の正体も、このあたりにあるような気がします。

中国に返還されて以降、中国の人々の香港への行き来が、以前よりも簡単になったことは確かなのでしょう。
 
とはいっても、筆者がこれまで数百回のイミグレーション通過時に見てきたのは、国境を行き来している大半の人々が香港人であるという現実です。  

7月1日の昼(ちょうど学生たちが議会に突入した頃)は、連休2日目ということもあってか、深圳/香港のボーダーは、帰路に着く膨大な数の香港人観光客で溢れていました。

「返還後、中国共産党の政策が香港に侵入した」と一般には理解されていますが、実際にはむしろ、香港の資本主義社会が中国に侵入しているのです(イミグレでの人の流れを眺めていると、そのことがよくわかります)。

正義をめぐる「捻じれ現象」

あえて言いましょう。香港の市民は、多くの中国人から見れば(そして世界的に言っても)「エリート」であり「富裕層」です。

大富豪の人口は、昨年ニューヨークを抜いて世界トップに。世帯の1割前後が1億円以上の資産を有しているといいます。

香港が中国に返還されたことによって、より大きな恩恵を受けているのは、筆者には富という「力」を持った香港の側であるように思われます。

「警察は学生たちを殺すな!」……そうした言説が、今回のデモを受けて溢れました。しかし警察は、何をしたのでしょうか?

ひとことで「力」と言っても、様々な水準の、いろんな次元の「力」がこの社会には存在します。

政治権力、例えば中国共産党による支配も、もちろん「力」です。そして、それに抵抗するための「正義」に基づく市民の抵抗も、また別の次元における「力」であると言えます。

そうした「力」をめぐる奇妙な捻じれが、こと日本のインターネットにおいては、この香港デモを機に顕在化していたように思われます。

普段は日本の政府や警察、法律を絶対的な正義と信じて、人権運動やデモが大嫌いで、なにか事件が起こると「デモなんかに参加する奴らは反逆者なのだから、警察は容赦なく取り締まれ」「日本の司法は生ぬるい、犯罪者は厳しく罰しろ」などと唱える人々が、香港のデモに対しては「警察許すまじ」「人権を守れ」「逆送法は悪」と大合唱。メディアもその受け手も、今回の事件をどう位置付けてよいのかわからなくなっているように見えました。

香港市民から見れば、彼らの「自由」を奪おうとしている「ラスボス」が中国共産党であり、香港警察はその手先と位置づけられています。

しかし管見の限り、明確に警察が動いたのは6月12日夜の暴動時と、7月1日の議会突入時だけでした。筆者はその現場にはいなかったのですが、映像を見ると、警察は確かにデモ隊に向けて催涙弾を放って応戦しています。何人かの負傷者も出たようです。

警察の第一の役目は、市民の安全を守ることでしょう。12日午後の衝突時は、交通機関も動いている中、学生たちが縦横に走りまくってデモを扇動していました。このような状況下では、香港であろうが中国や日本であろうが、警察が何らかの処置を採るのは当然です。むしろ催涙弾は、相手に与えるダメージを最低限にする方法だったとすら思います。また1日の議会突入は、一種のテロ行為だったと言っても過言ではありません。

香港市民から見れば、彼らの「自由」を奪おうとしている「ラスボス」が中国共産党であり、香港警察はその手先と位置づけられています。

しかし管見の限り、明確に警察が動いたのは6月12日夜の暴動時と、7月1日の議会突入時だけでした。筆者はその現場にはいなかったのですが、映像を見ると、警察は確かにデモ隊に向けて催涙弾を放って応戦しています。何人かの負傷者も出たようです。

警察の第一の役目は、市民の安全を守ることでしょう。12日午後の衝突時は、交通機関も動いている中、学生たちが縦横に走りまくってデモを扇動していました。このような状況下では、香港であろうが中国や日本であろうが、警察が何らかの処置を採るのは当然です。むしろ催涙弾は、相手に与えるダメージを最低限にする方法だったとすら思います。また1日の議会突入は、一種のテロ行為だったと言っても過言ではありません。

カメラのレンズを壊された

法議会ビルへの再突入があった7月1日の夜も、筆者は群衆の写真を写していたのですが、人々の態度に変化が起きていることを、身をもって知りました。

この日、「何の騒ぎも抵抗も起こさず、穏やかに抗議を続けている」はずの学生たちが、議会に強引に突入し破壊行動に及んだことが報じられました。一方、「虐殺を続けている」とされる警察の動きは(そのような事実はなかったので)報道しようがない。

この状況に違和感を抱く海外メディアが出ることを危惧してか、政府側ではなく、学生・市民の側が「取材規制」を始めたのです。

それまでは自由に撮影することができていたにもかかわらず、それ以降は「我々は穏健に行動しているのに、海外メディアに暴動であるとの誤解をされると困る」「学生側の不利になるような写真は撮影してはならない」「撮影していいのは我々が許可したメディアのみ」と、拒否されるようになりました。

それでも撮影を続けようとすると、周りの群衆(一般の香港市民)から何度も写真の消去を求められ、取り囲まれて詰め寄られたのみならず、カメラを奪われてレンズを壊されたのです。自分たちが「被害者」であるという印象と主張を世界に発信するためなのでしょうか? 率直に言って、命の危険を感じました。

救い出してくれたのは、アメリカ人のフリージャーナリストでした。彼もまた、フリーであることから(香港市民の意に沿わない取材をしていたために)同様の取材中止要求を受けていたそうですが、欧米人に対しては、市民もあまり強引なことはできなかったようです。「フリーの記者は、あくまで中立的立場で報道しなければならないんだ」と説く彼に感謝し、筆者はその場を離れることにしました。

筆者は日本にほとんど身寄りもありませんから、もし何かあっても、大きな問題にはならなかったでしょう。しかし、本当にこれでいいのでしょうか?

7月下旬以降は、謎の「白シャツ集団」がデモ隊と衝突し、香港はますます混迷を深めています。香港市民が掲げる「正義」の背後でいま何が起きているのか、慎重に見極める必要があると筆者は思います。

青山潤三(あおやま・じゅんぞう)/1948年生まれ。写真家・生物研究家。中国四川省・雲南省の奥地や琉球諸島をフィールドに、植物や昆虫などの撮影・調査を長年にわたり行っている。著書に『世界遺産の森 屋久島』(平凡社新書)、『カラー版屋久島 樹と水と岩の島を歩く』(岩波ジュニア新書)『小笠原・緑の島の進化論』(白水社)など。